フジミ 1/20 フェラーリ F92A & ジャン・アレジ /1992

【フェラーリ F92A  /1992 】
デザイナー: スティーブ・ニコルズ、ジャン=クロード・ミジョー
先代: 643(1991)
後継: F93A(1993)
エンジン: フェラーリ Tipo 040 (E1 A-92), 3497cc, 65度 V12, NA, ミッドエンジン, 縦置き
ドライバー: 27.ジャン・アレジ、28.イヴァン・カペリ、28.ニコラ・ラリーニ
コンストラクターズランキング: 4位 (1位 ウィリアムズ FW14B)

F92Aは、スティーブ・ニコルスとジャン=クロード・ミジョーが設計し、ニコルスの離脱後チームに復帰したハーベイ・ポストレスウェイトが改修を行った。
最大の特徴は「ダブルデッキ」もしくは「ダブルフロア」と呼ばれる二重底設計である。通常は連結しているサイドポンツーンとアンダーパネルを切り離し、サイドポンツーンを持ち上げてアンダーパネルとの間に隙間を作った。その隙間を通してリアエンドにより多くの気流を送り込み、ディフューザーの排出効率を高める狙いだった。サイドポンツーンのインテークはジェット戦闘機のように左右に張り出し、シャーシとの間のスペースから気流がダブルデッキ内に流れ込むようにした。このインテークの造型は1996年のF310でも採用された。
ノーズは若干リフトした2点吊り下げ式のハイノーズとなった。フロントサスペンションは639以来のトーションバー・スプリングを止め、単一のスプリング / ダンパーユニットで制御するモノショック方式となった。

ドライバーは前年から引き続いてのジャン・アレジ、及びレイトンハウスより移籍したイヴァン・カペリの二人を起用した。
ラジカルな設計のダブルデッキは、ラジエータなどの補器類の搭載位置が高くなった結果、重心位置が上昇してナーバスな操縦性を生むことになった。また、新設計のエンジンの信頼性が低く、A〜Gタイプまで改修が繰り返された。アレジのドライビングで第4戦スペインGP・第7戦カナダGPにて3位表彰台を獲得したのが最高位で、カペリは第3戦ブラジルGPの5位・第11戦ハンガリーGPの6位と入賞2回のみに低迷した。チームは第14戦ポルトガルGP後にカペリを解雇し、テストドライバーだったニコラ・ラリーニを起用した。ラリーニは残り2戦でアクティブサスペンション仕様のF92ATをテストし、翌シーズンへの先行開発を担当した。
1992年は結局1勝も出来ず、コンストラクターズ獲得ポイントはわずか21点(ウィリアムズ・ルノーの1/8)。F92Aはフェラーリ低迷期を象徴するマシンとなってしまった。

【ジャン・アレジ /1992】
ドライバーズランキング: 7位(1位 ウィリアムズ FW14B ナイジェル・マンセル)
獲得ポイント:18
優勝回数:0回

1992年のチームメイトはイヴァン・カペリになった。本人の希望でカーナンバーを27に変更。F92Aはシーズン前こそ美しいフォルムと革新的な二重底(ダブルデッキ)で注目されるものの、シーズンが始まると失敗作と判明。タイヤに厳しく、ナーバスな操縦性のマシンであり、メキシコGPではチーム資金も性能も格下のティレル・イルモアに乗るアンドレア・デ・チェザリスにホームストレートでオーバーテイクされるなど結果は散々たるもの。完走もできないレースが続いたが3位を2回記録する。
内部批判を繰り返し離脱したプロストに代わり、イタリアのメディアやフェラーリファン(ティフォシ)は次代のエースであるアレジに注目。駄馬をねじ伏せるような攻撃的な走りは同じような境遇にあったフェラーリ伝説のドライバー、ジル・ヴィルヌーヴを彷彿とさせ、ティフォシは熱狂する。


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