
タミヤ 1/20 マクラーレンホンダ MP4/4 & アイルトン・セナ 1988
【マクラーレンホンダ MP4/4 1988 】
デザイナー: ゴードン・マレー、スティーブ・ニコルズ
先代: MP4/3(1987)
後継: MP4/5(1989)
エンジン: ホンダ RA168-E, 1,494 cc (91.2 cu in), 80度 V6, ターボ (2.5 Bar limited), ミッドエンジン, 縦置き
ドライバー: 11.アラン・プロスト、12.アイルトン・セナ
コンストラクターズランキング: 1位 (2位 フェラーリ F187/88C)
MP4/4の設計は1987年夏の終わりごろから本格的にスタートした。エンジンをTAG(ポルシェ)からホンダに変更したが、チーフデザイナであるスティーブ・ニコルズによると、これが明らかにされるのが遅かったため、白紙の状態から6か月でデザインを完了させなければならなかった。
設計開始が遅れたため、シーズンオフの間、ホンダエンジンを使った実走テストにはMP4/3Bが使用された。MP4/4がシェイクダウンを行ったのは開幕戦の11日前で、イモラで行われたシーズン前テストの最終日だった。
1988年シーズン開幕戦から最終戦まで使用され、圧倒的な強さで全16戦中15勝を記録し、アイルトン・セナに自身初のドライバーズタイトルとマクラーレンにコンストラクターズタイトルをもたらした。

【アイルトン・セナ 1988】
ドライバーズランキング: 1位(1位 マクラーレン MP4/4 アラン・プロスト)
獲得ポイント:90(94)
※ベスト11戦がポイントランキングに数えられた。 プロストは105ポイントを獲得したが、ランキングでは87ポイントのみが有効とされた。セナの獲得ポイントは94であったが、優勝回数の差で有効ポイントは90となった。結果として総獲得ポイントが劣るセナがタイトルを獲得した。
優勝回数:8回
チャンピオンになるため、マクラーレンに移籍し、当時すでに2度のタイトルを獲得していたアラン・プロストとコンビを組むこととなる。セナの移籍に伴い、この年よりマクラーレンにもホンダエンジンが搭載されることとなった(一説ではホンダからマクラーレンにエンジンを供給する条件がセナの雇用だったとも言われている)。こうしてセナ、プロスト、ホンダエンジンの組み合わせでマクラーレンチームは開幕から連勝を重ねた。またチームはジョイントNo.1体制(2人のドライバーに優劣をつけないこと)を取ったために、第5戦カナダGP、第7戦フランスGP、第10戦ハンガリーGPなど、2台のマクラーレンによる激しいバトルが再三行われた。
2人のポイントが分散したため、コンストラクターズタイトルが第11戦ベルギーGPで決定したのに対し、ドライバーズタイトル争いはシーズン終盤までもつれ込んだ。セナはベルギーGP以降一時不調に陥るも、第15戦日本GPでスタート失敗による14番手転落から追い上げて優勝、自身初のタイトルを獲得した。この年の16戦中8勝・13PPという数字は、いずれも当時の史上最多記録を更新するものであった。
「ホンダRA168E」を搭載した「MP4/4」と2人のドライバーにより、チームは15勝を上げ、10度の1-2フィニッシュを記録。特に第2戦サンマリノGP・第6戦デトロイトGPでは、3位以下を周回遅れにしての1-2フィニッシュを達成するなど、マクラーレン勢が他を圧倒した記録的なシーズンとなった。しかし、第13戦ポルトガルGPでの幅寄せ行為以降、2人の関係には溝が出来始めていた。






